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福島家庭裁判所会津若松支部 昭和52年(家ロ)21号 決定

主文

債務者らは債権者に対し、昭和五三年三月三一日までに債権者の長男長谷川誠一(昭和四五年九月二五日生)、同二男長谷川秀明(昭和四八年九月四日生)を引渡さねばならず、もし右期限までにその引渡しをしないときは、債務者らは債権者に対し、昭和五三年四月一日から引渡しを終えるまで、一日につき、右誠一につき金一、〇〇〇円、右秀明につき金一、〇〇〇円の各割合による金員を連帯して支払わなければならない。

理由

第一申立の趣旨

債権者は、債権者と債務者間の当裁判所昭和五一年(家イ)第一〇一号、一〇二号子の監護者指定調停事件の調停調書(同調書中調停条項第一項「申立人ら(本件の債務者ら)は相手方(本件の債権者)に対し養育監護中の長谷川誠一(昭和四五年九月二五日生)、長谷川秀明(昭和四八年九月四日生)を遅くとも昭和五一年一一月二一日までに引き渡す。」)に基き、執行文の付与を得たうえ、債務者らが履行をしないことを理由に、決定をもつて相当の期間(本決定送達後三日以内)を定め、債務者らがその期間内に右引渡し義務を履行しないときはその遅延の期間に応じて一定の賠償(一日につき、右各児について各一万円)をなすべきことを命ぜられたい旨間接強制による執行の申立をした。

第二当裁判所の判断

そこで一件記録及び当裁判所の審訊の結果に徴し、債務者らが履行をなすべき一定の期間、及び履行しなかつた場合の相当賠償額(右両児の引渡し義務を、心理的強制により履行せしめるに必要かつ十分で一応の合理性の存する額)について判断する。

一  本件紛争が生じ、間接強制が申立てられるに至つた経過は、おおよそ次のとおりである。すなわち昭和四四年債権者は債務者らと養子縁組して債務者らの養子となつて、債務者らの実子涼子と婚姻し、債権者と右涼子との間に昭和四五年九月二五日長男誠一が、昭和四八年九月四日二男秀明が出生した。ところが右涼子は昭和五〇年四月二一日死亡し、その直後から養子である債権者と養父母である債務者らの間が不和となり、養子縁組関係の解消、あるいは右両児の引取り、養育をめぐつて紛争が生じ、債務者らから離縁等の調停申立、債権者から人身保護命令の請求、更に債務者らから子の監護者指定の調停申立(当裁判所昭和五一年(家イ)第一〇一号、一〇二号)がそれぞれなされ、右子の監護者指定の調停において、昭和五一年八月二一日第一、申立の趣旨記載のとおりの調停が成立したが、履行期限を経過しても右両児は依然債務者ら方に留まつているので、債権者から本件申立がなされた。そこで右両児が依然債務者らのもとに留まつている事情につき、一件記録及び当裁判所の審訊の結果(昭和五二年二月一八日、同年一二月二六日の債務者ら審訊の結果及び同年一一月一四日債権者審訊の結果)により検討するに、その事情は次のとおり認められる。

1  履行期限である昭和五一年一一月二一日、一応債務者ら方で右両児の引渡しの場は設けられた。この日午後一時頃、債権者側は債権者、債権者代理人弁護士○○○、債権者の実父母、実兄及び実妹夫妻で債務者ら方に赴き、一方債務者側は債務者ら、債務者ら代理人弁護士○○○○、債務者らの三女順子、その他親戚の者ら六名が待機し、債務者ら方一階の部屋に(代理人を除く)関係者らが黙して対座するという状況の中で、右両児の引渡し、引取りを行おうとした。ところが右両児は債権者に引き取られることを強く拒んで泣き叫び、債務者良子、三女順子とともに二階の一室に引き籠つてしまつたため、両代理人において引取り方につき協議がなされた結果、ともかく債権者が右両児に会うこととし、債権者は午後四時頃二階に行き、一旦室外に出た右両児を引き連れて行こうとしたが、再び右両児が泣き叫び、ここに債権者側関係者と債務者側関係者が、両児を取り合い、掴み合い、債権者側に「引つ張つて行け。」と叫ぶ者が出るなど混乱した収拾のつかない状態に陥り、結局債権者側は後日執行官による強制執行を考慮し、当日の引取りを断念した。

2  その後債権者は、昭和五二年一二月一三日前記調停調書に執行文の付与を受けて、翌一四日執行官による直接強制をするため、執行官、債権者、債権者代理人事務所の事務員が債務者ら方に赴いたが、執行官において右両児の意向を問うと右両児が債権者方へは「行かない。」と答えたため、執行官は執行を断念した。

3  その後は、債権者と債務者の間には、昭和五二年二月頃、債権者が長男誠一のためにランドセルを債務者方に郵送した以外何等の連絡も無く、右両児の債権者に引取られることに対する拒否的感情にも変化は無く、現時点では債務者らにおいて右両児の心情を慮り、またかつて債権者に精神的な疾患があつたことを理由に、任意に引渡す意向も無い。

4  なお債権者は審訊の際、右両児が債権者に拒否的反応を示すようになつたのは、債務者側の「入知恵」によるものと主張する。なるほど債権者審訊の結果では、債務者らにおいて前記調停の調停条項第三項「相手方(本件債権者)が申立人ら(本件債務者ら)の自宅を訪問したときは、これに協力するなど上記両名(右両児)が上記同日(昭和五一年一一月二一日)までに相手方になつくよう両当事者は努力する。」との義務を、従前からの債権者と債務者らの感情的な対立もあつて十分に果たしてはいないと考えられるけれども、右両児特に長男誠一は調停成立前から債権者になつかず、むしろ債務者らや債務者らの三女順子に親近感を抱いていたと伺われ、債務者らが特に右両児の引き取られることに対する拒否的感情を助長するよう策したとは認められない。

二  次に、右両児の養育についてであるが、右両児は三女順子とともに○○を営む債務者ら方において養育され、長男誠一は債務者ら方から小学校に通学している。他方債権者は○○○郡山支局に運転手として勤務し、郡山市に借家して独居しているが、右両児を引取つた場合には、債権者の実母が債権者と同居して養育に当たる予定とのことである。

三  債務者らの経済状態については、前述のとおり債務者らは三女順子と○○を経営し、その年収約二〇〇万円と債務者秀吉の厚生年金年額一二〇万円で生活しており、農業収入は殆んど無い。

なお債務者らは昭和五二年夏○○への学生勧誘のため体育館を建築したため一、〇〇〇万円の借入金があり、月々一六万円を返済している。(他方、債権者は前記勤務による給料のほか、妻涼子の死亡により同女の退職金、生命保険金等八〇〇万円余を受領している。)

四  以上のとおり、右両児が債務者らのもとに留まつている事情、両児の心情と債権者の精神的苦痛、両児の養育状況、債務者らの経済状態その他一件記録及び当裁判所の審訊の結果にあらわれた一切の事情を考慮し、賠償額としては後記猶予期間経過後、各児について、一日につき各金一、〇〇〇円が相当と認められ、なお履行のための相当な期間としては、右両児の心情からみて尚多少の準備期間を要し、また長男誠一は小学校の転校等の手続も考えられ、その他の事情をも考慮し、昭和五三年三月三一日までに引渡しを履行するものとするのが相当である。

第三よつて債務者らは債権者に対し右両児を昭和五三年三月三一日までに引き渡すべく、右期間内に引渡しをしないときは、その翌日の昭和五三年四月一日から連帯して各児について、一日につき、各金一、〇〇〇円の割合による金員の支払を命ずることとして主文のとおり決定する。

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